豊臣秀吉への抵抗
1587年(天正15年)、豊臣秀吉による九州平定後、肥後の領主となった佐々成政の強引な検地に反対し、肥後全域で国衆たちが一斉に蜂起しました。これが「肥後国人一揆」です。
和仁三兄弟は、姉婿である辺春親行と共に自らの居城である田中城に立てこもりました。
一万の大軍に900人で抗う
豊臣軍は、小早川隆景、安国寺恵瓊、立花宗茂といった名将たちが率いる1万以上の大軍を投入しました。これに対し、田中城の和仁軍はわずか900人余り。しかし、地の利と和仁一族の強固な結束により、約40日間にわたる壮絶な籠城戦を繰り広げます。
最後は内通者の裏切りによって城内に火を放たれ、一族は壮絶な最期を遂げました。彼らは単なる「敗者」ではなく、自らの領土と誇りを守るために戦った英雄として、今も和水町の伝承として語り継がれています。