プロフィール

 

  



  柳原 志保 
     shiho yanagihara

     熊本県和水町在住。2児の母

         






                            HISTORY

1972年  宮城県多賀城市に生まれる。
1995年  宮城学院女子大学卒業。
      東京のダンス専門学校や「沖縄アクターズインターナショナル」芸能スクールのスタッフとして生徒育成に携わる。
2002年  宮城県で結婚、2児を出産する。
2010年  離婚。ビジネスホテル「東横イン」支配人として就職する。
2011年  東日本大震災で自宅が大規模半壊、避難所生活を送る。
2012年  熊本県和水町へ移住。総務省「和水町地域おこし協力隊」として活動(~2015.3)
2014年  防災士の資格を取得。熊本県男女共同参画リーダー研修に参加。
2015年  有明広域行政事務組合 荒尾・玉名地域結婚サポートセンターKOIBANAの「婚活アドバイザー」として勤務(~2019.6)
2015年  国際ソロプチミストアメリカより「夢を生きる」賞を受賞
2016年  熊本地震が発生。自宅避難を経験する。
2018年  熊本県男女共同参画アドバイザー、 熊本県ひとり親家庭福祉協議会理事(~2019.6)
2019年  熊本県民テレビ 放送番組審議会委員
2019年  (株)丸美屋とスポンサー契約をする。現在、フリーとして活動中!

◎資格
防災士、栄養士、MFAチャイルドケアプラス、メンタルコーチ1級、心理セラピスト1級

◎大事にしていること
謙虚さ、ポジティブ(前向き志向)、認め合う、気づき→考え→行動する

◎元気の源
子どもといる(つながっている)時。スイーツ(洋菓子)&すっぱムーチョ(梅系菓子)を食べている時。

                            


                             STORY


2011年東日本大震災がおきる。まさかわたしが・・・

震災がおきた時、わたしは何も備えをしていませんした。「まさかわたしがこんな目にあうなんて・・・」
避難所生活2週間頃に、職場から早く仕事に戻って欲しいという連絡がありました。当時長男は小学1年、次男は保育園年中でした。家は大規模半壊で母と4人暮らしとはいえ、家は津波で片づけがまだまだ必要な状態。こんな状況で仕事に戻って大丈夫だろうか。でも、39歳でやっとつかんだ正社員の仕事。辞めるわけにもいかず、仕事に行くことを決意します。
また、当時熊本県和水町に住んでいた妹家族が落ち着くまで子どもの面倒を見てくれることになり、「行ってみたい」という長男を遠い熊本県和水町に行かせることになりました。

和水町では、長男が4月~7月までお世話になりました。
長男が宮城に戻ってきてからもわたしの仕事はとても忙しく、子どもといっしょにいられる時間がほとんどもてませんでした。震災からの復興でホテル業界は火の車でしたから。携帯を枕元において、何かあったらホテルに行くのが責任者である支配人の仕事。余震も多かったので、ボイラーが壊れたりと不具合が生じるとお休みの日でもホテルに飛んでいく毎日。
そのせいか、小学2年と長男と保育園年長の息子は子どもがえりしてしまい、今思うと心のケアが必要だったのだと思います。でも、当時のわたしはひとり親でしたから、この仕事を失うわけにはいかないと必死に働いていました。子育ては同居していた母に任せきりでした。
震災から1年がたち、ホテルも落ち着いてきたころ、母に言われました。「仕事の代わりはいるけど、母親の代わりはいないんだよ。」。ハッとしました。

田舎でゆっくりと親子で生活したい・・・熊本県和水町へ。そして、「和水町地域おこし協力隊」に。

余震も多く、不安だっただろう子どもにわたしは全然向き合っていませんでした。そして、わたしもヘトヘトでした。親子でゆっくり過ごしたい、と心のケアのためホテルを退職し、それなら、長男がお世話になった熊本県和水町へ行ってみようと思いました。母に甘えてばかりだった自分を反省し、親子でしっかり向き合おう、田舎でゆっくり自然に触れあいながら、と。

ちょうど、総務省が推奨していた「地域おこし協力隊」というお仕事を和水町で募集しており、長男が世話になった和水町の地域活性化に役立てるなら、と思い応募し、採用していただけることになりました。地域おこし協力隊活動の任期は3年間。
まずは地域の方と交流することからはじまりました。言葉も食べ物も、習慣も、自然も東北とは全然違う熊本県。全てがはじめて、さらに田舎暮らしもはじめてですから、やること見ることが楽しくてわくわくしました。
また、ご近所さんとのつながりがとても深いのも田舎ならでは。玄関には野菜が置いてあったり、季節のものを畑から収穫させていただいたり。
謙虚さを大事にしながらも、地域行事やPTA役員などに積極的に参加することで地域貢献にも力を注ぎました。この姿勢が地元のみなさんに受け入れてもらえた秘訣なのかなぁと思います。

最初は、震災体験を伝えていた・・・しかし「何かが足りない」

はじめての講演依頼は、移住して半年後、子どもたちが通う小学校のPTA教育講演会でわたしの震災体験を話しました。そのうちに、ポツリポツリと講演依頼の話がくるようになりました。1年ほどして気づきました。「わたしの話を聞いて涙する人はいるけど、これで本当によいのか?」と。映画を見たような感覚で感動してはくれますが、何か足りない・・・そうなのです。聞いて終わりなのです。そこから何をするわけではないのです。
わたしは何のために話をしているのかを改めて考えました。
災害が起きてからすることではなく、災害が起きる前にできることをする。それは「備え」「防災」への行動です。
そこで、わたしに足りないのは防災の知識だと思い、2014年防災士の資格を取得しました。
さらに同じ年に熊本県が行っていた男女共同参画リーダー研修で関東へ行きました。そこでまた気づいたのです。
「わたしが伝えたいのは、お母さん、女性目線での防災」だと。
実は、防災士の勉強で習ったことは理解はできましたがどうも腑に落ちず、「もっと日常の中で続けていける入口はないのか」とモヤモヤしていました。研修に参加したことで、男性の角度から見る防災と女性目線での防災の入口が違うことに気づき、わたし目線での防災を伝えたいと思ったのです。

誰でもできる備えの入口を提案していきたい

「防災」というと、なんか難しくて堅くて、男性がやってくれて女性は受け身のイメージがありました。消防団も行政も自主防災組織も男性の方が多いからかもしれません。でも、災害時はいつ起きるかわかりません。まして地震は。

だから高齢者でも、女性でも、子どもでも、どんな立場の人でも共感してもらえるかんたんなわかりやすい防災の入口が必要だと思いました。
例えば、男女共同参画の「参画」してもらうには、その前に「参加」があり、その前に「興味」がないと参加はしません。
つまり、防災も同じで興味を持ってもらえる入口が大事なのです。興味がわけば、防災訓練などにも参加してくれる。そこからそれぞれができる範囲で備えをしてくれたらよいのです。
そして、入口はひとそれぞれ違うので、それぞれに合った入口を提案していきたい、と思いました。

「婚活」×「防災」!?・・・防災の入口は無限大!熊本地震で役立つ

地域おこし協力隊卒業後は、わたしの住む和水町を含む、近辺エリアを元気づける「婚活プランナー」として行政の非常勤職員として働くことになりました。地方創生の波もあり、田舎を活性化させるために結婚・移住定住・子育て支援は大事な施策なのです。
さまざまなイベント企画を手がける中で、考えたら婚活世代も大事な災害時の人材だと気づきました。しかも、この世代は防災訓練や地域行事には顔を出さない世代なのです。
「そうだ!婚活イベントに防災を入れてみよう」と。
この斬新な発想は、婚活にも防災にも相乗効果があり大変好評でした。
さらに、参加された方が熊本地震で避難所生活になり、この経験が役にたったと後から声をいただきました。
防災の入口に正解はなくて、ライフワークと組み合わせると無限大に入口があるのを改めて感じました。
わたし自身も、仕事と子育てをしながらの備えで完璧な防災はできていませんが、熊本地震の時は備えをしていたことで自分自身の心を落ち着かせることができたし、落ち着いた行動が子どもにも伝わって安心させることができました。


口コミから全国へ。備えを種まきを伝えるプロでありたい。

わたしは防災研究家ではないので、知識のプロ(専門家)ではありません。だから知らないこともできないこともたくさんあると思います。
例えば、被災地ボランティアだったり、アウトドア術だったり・・。経験していないことは伝えられません。
防災分野も入口が広いのでできないことはそれぞれの専門の方にお任せしたいと思います。

わたしができるのは「備え」を自分事として「行動」してもらう入口づくりです。
だから、インパクトを与える伝える(話す)プロでいたいと思います。
どんなに知識があっても聞き手の心に響かなければ意味がないと思うからです。
わたしは講演はステージだと思っています。
学生時代にやっていたミュージカルでのパフォーマンスや歌、芸能スクールや婚活でのイベントプロデュース経験を講演会というステージに活かしています。


そのフィナーレが復興ソング「花は咲く」の大合唱です。ここで聞き手の心にガツンと響かせ、「行動」してもらう背中を押します。
歌うことはもう一つの意味があります。
「花は咲く」はいろいろなところで耳にする機会があると思います。その時に「あの時歌ったなぁ」「あの時こんな話を聞いたなぁ」という思い出すきっかけにしてもらいたいのです。人は忘れる生き物なので、講演を記憶に残す、忘れないでいてもらう『忘災』作戦です。

おかげさまで、いろいろな世代の方に共感をいただき、口コミで熊本県だけでなく、少しづつ全国から講演依頼がくるようになりました。種から芽が出て花を咲かせ、花びらが拡がっているのを実感しています。
講演回数300回を超え、2万人以上の方に種まきをさせていただきました。
また、テレビや新聞、ラジオなででも情報を発信できる機会も増えてきました。どうやったら聞いた人の心に届くのかは毎回、研究・勉強です。

種まきのやり方はひとそれぞれです。
わたしは、話すことや歌うことが大好きなので自分自身が楽しみながら、防災啓発を講演会や研修という形でみなさんに伝えていけたらと思います。
ライフワークとして、防災啓発活動を細く長く続けていきます。
そして、そんなわたしの背中を息子に見せて、わたしの想いを未来につなげてくれたらと願います。

地域でのわたし

  • 【和水町では】
    自治会の自主防災組織総務リーダー、町の防災会議委員といった防災啓発活動に加え、男女共同参画懇話会委員、社会福祉協議会評議委員、地方創生まちづくり会議委員、母子会会長をしています。また、息子のPTA役員、地域のママたちとの音楽サークル『LaLaLa』への参加など積極的にまわりの方とつながるように心がけています。現在、親戚が九州にはいない中で生活していますので、こういった仲間づくりや人間関係は大事にしています。
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